目の前の現象に意味づけすることの意味

昨日の朝8時半頃、ふと路上に落ちている封が切られていない煙草の銘柄hi-liteが落ちているのを目にした。

 

一瞬拾おうとしたのだが、拾わずにそのまま立ち去ったのを鮮明に覚えている。

 

午前11時過ぎに仲良しのグラフィックデザイナーから、一昨日開催した映画愛好会の名称とイメージ画像が3人グループのメッセンジャーに共有されたのだ。

 

男性と女性がくちづけをする直前のイラスト画像をモチーフに、グラフィックをおこしていたのである。

 

どこか見覚えのあるイラストだなと思いきやそのまま時は流れた。

 

午後2時を過ぎた頃、和田誠氏が死去されたというニュースが流れてきた。

 

ぼくは知らなかったのだが、その日の夜偶然にも全てが繋がった。

 

hi-liteのパッケージデザインも、映画愛好会のイメージ画像のモチーフイラストも、和田誠氏のデザインだったのである。

 

この目の前に現れた現象の意味に意味づけすることを、ぼくは現在思考している途中だ。

 

全ての物事はそうであるが、意識しないとそのまま意識から消えていく。

 

意識して、意識し続けることによって、その後の人生の断片的な物事と必ず重なってくる部分がでてくる。

 

数日かもしれないし、数年後かもしれない。

 

意識して、意味づけし続けることによってこそ、その時のその時間に意味合いが生まれるのである。

 

あなたの日常での、日々の中の小さな現象にこそ意味づけしてみるのもいいかもしれない。

 

そしてその何気ない目の前の現象にこそ、後の自分の中にある意味になるのかもしれない。