幸福とは、仲間に貢献できる感覚
とても面白かったので、要点のみサクッとメモります。
詳細は下記のYouTubeにてっ。
【心理学の三大巨頭:アドラー】
現代人を幸福にする心理学
【幸福に生きるための考え方】
1 人は変われる
2 世界はシンプル
3 誰もが幸福になれる
1【トラウマなんてない!】
「実はあなたがトラウマを利用しているだけ」
目的論:今のままが楽だから、過去のせいにしてるだけ。
→トラウマ・怒り・劣等感も道具にして使っている。
→大切なのは変わる勇気
2【だいたいがあなたの課題じゃない!】
「全ての悩みは対人関係」
(スタート)課題の分離:自分のこと、ひとのこと
禁止:ほめられようとすること、ほめること(賞罰教育)
→縦の関係から横(感謝)の関係へ
(ゴール)共同体感覚
3【幸福とは、仲間に貢献できている感覚】
禁止:競争
自己受容(存在レベル)
→他者信頼
→他者貢献(点の連続、今に集中)
→普通である勇気
目の前の現象に意味づけすることの意味
昨日の朝8時半頃、ふと路上に落ちている封が切られていない煙草の銘柄hi-liteが落ちているのを目にした。
一瞬拾おうとしたのだが、拾わずにそのまま立ち去ったのを鮮明に覚えている。
午前11時過ぎに仲良しのグラフィックデザイナーから、一昨日開催した映画愛好会の名称とイメージ画像が3人グループのメッセンジャーに共有されたのだ。
男性と女性がくちづけをする直前のイラスト画像をモチーフに、グラフィックをおこしていたのである。
どこか見覚えのあるイラストだなと思いきやそのまま時は流れた。
午後2時を過ぎた頃、和田誠氏が死去されたというニュースが流れてきた。
ぼくは知らなかったのだが、その日の夜偶然にも全てが繋がった。
hi-liteのパッケージデザインも、映画愛好会のイメージ画像のモチーフイラストも、和田誠氏のデザインだったのである。
この目の前に現れた現象の意味に意味づけすることを、ぼくは現在思考している途中だ。
全ての物事はそうであるが、意識しないとそのまま意識から消えていく。
意識して、意識し続けることによって、その後の人生の断片的な物事と必ず重なってくる部分がでてくる。
数日かもしれないし、数年後かもしれない。
意識して、意味づけし続けることによってこそ、その時のその時間に意味合いが生まれるのである。
あなたの日常での、日々の中の小さな現象にこそ意味づけしてみるのもいいかもしれない。
そしてその何気ない目の前の現象にこそ、後の自分の中にある意味になるのかもしれない。
木全ミツさん講演会〜自分の人生は、自分の力で切り開く〜
仕事は『行動(やったこと)』がすべて。
行動が経験になり、経験が血肉になる。
無名の偉人と言われている、木全ミツさんの講演会を拝聴させていただきました。
《木全ミツさん》
福岡県久留米市生まれで、官僚として30年のキャリアを積んだ後、The Body Shop(Japan)の初代代表取締役社長を10年務める。
認定NPO法人女子教育奨励会(JKSK=女性の活力を社会の活力に)を立ち上げ、現在に至るまで理事長として活躍。
http://www.jksk.jp/oldweb/j/leader/200207_01.htm
「インクルーシヴ・リーダーシップ(inclusive leadership)」
『21世紀には、今までのように一部のエリートがリーダーシップをとるのでなく、一人一人のなかにあるリーダーとしての資質を引き出しながら、総体としてのリーダーシップを育成する形が主流になる。若い人を社会的な責任感を持った市民に育てていくことが増々、重要になる。そのような21世紀型リーダーシップを「インクルーシヴ・リーダーシップ(inclusive leadership)」と名付け、その理念を核にした教育を実践するプログラムを提案した。』
【今日の気づき、言葉の解釈】
・自分以外の誰かのために。それが幸せの本質。
・人のお世話にならぬよう、人のお世話をするように。
・実体験=実績→説得力
・3歩下がって、話をきく。あとはタイミングを待つ。
・成果:男100、女105→壁も天井も無くなった。
・「演じる」→あとはタイミングを待つ。
・不満を言う暇があるなら、行動をして実績をつくるべき。
・「依存心」↔︎無関心 ⇨「自分で生きる」という意志(自分を律する)(問題の本質を見抜く力)
・ディベートの習慣
・3年程度の実績をつくる。
・素敵に表現
・能力を持っている女性が活躍できていない。(65歳以上の高齢者をもっと活用すべき)
・人財は国家資産。
ある事実と隣り合わせにある真実について
映画「愛の流刑地」の主演で恋仲の2人、村尾菊治と入江冬香がSEXするシーンから始まるこの映画を例にして、事実と真実について考えてみた。
あらすじ
かつて、恋愛小説の期待の星として脚光を浴びていた男、村尾菊治(むらお きくじ)は10年近くも新作を書けず、現在では東京にて既に忘れ去られた小説家として数えられていた。
そんなある日、女友達の紹介によって学生時代から自分のファンであった人妻、入江冬香(いりえ ふゆか)と出会った菊治は、現代の大和撫子を絵に描いたかのような彼女の容姿と所作に以前見た八尾町の「おわら風の盆」を思い出し、強く心惹かれるようになる。そして、冬香をホテルに誘い込んだ菊治は人妻である彼女との性行為に及び、肉体関係となる。
その後も、京都にて菊治との性行為を繰り返す冬香は、今まで夫には感じられなかったほどの激しいエクスタシーを感じるようになる。さらには、夫が東京へ転勤して家族共々住むことになったため、冬香は千駄ケ谷の菊治宅へ通い始める。次第に感じるエクスタシーが激しさを増していく冬香は、夫との性行為を拒絶するほどまでに菊治の愛撫を求めるようになった末、彼との性行為中に「首を絞めて殺して」と口走ってしまう。菊治は冬香の言葉に戸惑うも、彼女の首を絞めるようになったが、ある日いつものように冬香の首を締めていた際にそのまま思わず彼女を殺してしまい、自らの行為に茫然自失となる。やがて、警察に通報した菊治から語られる罪にマスコミが注目する中、事件は裁判へと進んでいく…。(Wikipediaより)
皆さんは、事実と真実についてどのように感じただろうか。
あらすじからもわかるように、村尾菊治は入江冬香の言葉「首を絞めて殺して」をそのまま受け入れて実行に移してしまった。
第三者からみると、殺人という事実行為は愛するという行為から逸脱している。
しかし、2人の間では殺人という事実行為が愛するという真実の行為へと変換されていたのである。
つまり、2人の中では「愛しているからこそ、殺してしまった」という事実の中の真実がある。
これらは映画の話であるが、私たちが日頃から事実と真実に向き合う機会がどれほどあるだろうか。
目に見えない真実こそ大事にし、事実を心で見るように日頃から意識すべきではないだろうか。
多様な視点から事実を解釈し、新たな真実から更なる事実を探す旅にでるのも面白いかもしれない。
事実はひとつ。真実は複数。